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“つくる人”のアタッシェ・ドゥ・プレスを目指しています。

おわりははじまり

これは、2015年に「2011.3.11」を堺に変化したことについてインタビューを受け、とある出版のために書いたものでしたが、結果ボツになった原稿。さらに3年たったいま、初心を忘れない為にも残しておこうと思い公開しました。


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おわりははじまり

物理的な "ぐらつき" が心の奥底迄の"ぐらつき" に変わってしまった一瞬の出来事。
まさか自分の家がこんなことになるなんて...

想像もつかないメチャクチャな家に到着したのは、震災から数日後。 震災時、静岡へ出張中だった私は、連絡が全く取れなくなってしまった娘と夫の安否に不安な時間を過ごし、ようやく連絡が取れた際送られてきた写真は、ガラスまみれになった家の中で靴のまま1つのパンをパパと分け合いかぶりついてる娘。無事だと分かり安堵の涙が溢れ、こんなにも家族の安否が分からないことが不安なんだということを生まれて始めて経験した。

娘の未来に向けていつ何があっても大丈夫、ではなかった...

自分ができること、未来への環境づくりが出来てないって気づいてしまった。環境づくりって言葉はしっくりこない気もするけど、世界中に当事者のように考えてくれる仲間、場所を作ること。気づいてしまったからには全力でやらなければと思うようになった。生涯、自分の暮らしを含め、仕事においてのプロジェクトや事業に繋げて考えるようになった「生きる力」だ。


震災後は自分の判断力を直感で信じるようになった。高知に引っ越したのも強い直感。 東京で満足に暮らしてはいたものの、何かが足りず、何も不自由が無かったけど、このままでいいのかな?という想いがいつもあった。フリーランスとして苦労しながらも、なんとか生きてこられた自分のルーツ "高知" は大嫌い!なはずだったのに、その大嫌いな高知に力強く生きてる大人たちとのご縁が出来てきていた。

震災から数日で私の心は決まっていた。即決するまでの出会いは必須だったんだろう。

結果、今はUターンして4年(現在はもう8年目)が経ち、何も不自由ない平凡を手に入れた暮らしから一転。全て不自由で、仕事も暮らしも情報も人づきたいも常に不満をかかえるストレスフルな生活になってしまってわざわざマイナスからのリスタートを選んでしまったのだ。マイナスからゼロになるのに3年はかかると思っていただけど、そんなもんじゃなかった。正直辛かった。子供のこと、仕事のこと、全てにおいて。なんとかして生きていかなくちゃいけない現実に行き当たりすぎて、正直苦しいことの方が今でも多いけど、きっとこれはうちの家族にとって必要なことだったんだと思う。

私の夢は、世界中に当事者のように考えてくれる人や場所を作ること。そして自然災害の予測はできなくても何かあった時に「生きる力」を鍛えること。どこにいても自分らしさを失わなず生きられるマインドを維持するスキルを身につけ、相手を思いやりを持てる心を繋げていくことに共感する人達が集まり、そのパワーが広がっていく場所に育てること。

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平凡という幸せを満喫し楽しく暮らしていた東京・用賀時代